Mineo Sakata
坂田 峰夫
 
 
 
Japanese  living in Tokyo
 
 
展覧会予定 2009年 6月19日(金)ー7月18日(土
 
 
光を辿る
 
 写真の魅力の一つは記録である。見たままのものがそこに再現される喜び。その時の感動を留めておくには最良といえる。光が定着したという現象から写真の歴史が始まった。カメラオブスクラはデジタルカメラへと変わり、記録装置としての位置づけのみに特化してきている。
 ものが見える為には光が不可欠である。絵を描く時には光によって照らし出された朧げな輪郭を辿り、さらにはイメージの奥へと迷って行くのだ。フォトグラムは絵を描くのに似ている。暗闇の中で手探りをするかのごとく、光とものとの位置や抵抗を感じながら印画紙に痕跡を残す。
 光はカゲを残す。光とカゲにより織りなすグラデーションは私たちに豊かな美しさを見せてくれる。私のフォトグラムは闇と光の対比が大切なのだ。白と黒のコントラストがどうのというのではなく、また、単純な光とカゲによるグラデーションでもない。ネガとポジの対比のなかに闇と光が交差し、中間に階調が生まれることに興味がある。光は現象を追いかけるものではなく、そこにあるものを確かめるための「手」のようなものである。
 
 
中を探る
 
 「中」とは偏らないことである。仏教においては中道、儒教においては中庸というように偏ることに対しての考え方が真理を解くカギとなっている。シルエットや透過した図像を模索していくなかで、ネガとポジの交差するフォトグラムのキモも「中」にあると感じる。
 偏らずバランスをとることはなかなか難しい。「中」にある作品イメージは曖昧で頼りない。力強く主張することのほうが簡単である。技術的にバランスをすり合わせることはイメージしやすいが、作品は数値のように割り切れない。そもそも単なる50:50であることなど「中」ではないのだ。
 モチーフに引きずられ、作品に振り回されてしまう。自分というものが邪魔をするのだ。純粋な「中」を探る作業のなかで、不必要な要素を削ることで出来るイメージは「無」に近いとも思える。そんなように作品を捉えてみようとするときに、大切なことは何か、ということをなかなか掴むことができない。実際に目の前にある「はな」が綺麗なこと、そこにあるということが確かなことである。そして薄っぺらな感光剤の平面に何かが潜んでいることが気になっている。
                   January,2009  坂田峰夫
 
 
 
 
 profile
 1990 東京芸術大学美術学部絵画科油画専攻卒業
 
 
 solo show
 1994  ギャラリーKIGOMA、東京・国立
 1995  ギャラリーKIGOMA、東京・国立
 1998  GALERIE SOL、東京・早稲田
 1999  ツァイト・フォト・サロン、東京・日本橋
 2003  ギャラリー覚、東京・銀座
 2004  ギャラリーMAKI、東京、新川
 2005  表参道画廊、東京・原宿
 2005  ギャラリー覚、東京・銀座
 2006  GALERIE ANDO、東京・松濤
 2006    ギャラリー覚、東京・銀座
     TIME&STYLE EXISTENCE、東京・青山
2008     GALERIE SOL、東京・銀座
2009   GALERIE ANDO、東京・松濤        
 
 group show
 1996  『ムルロアに咲く花プロジェクト』展 
                ガレリアラセン、東京・国立
 2004   4月展、ギャラリー覚、東京、銀座
 2007   TIME&STYLE(六本木ミッドタウン)
                4人展、東京・六本木
 2008      フローラ・新本草図譜集(αMプロジェクト)展  
               表参道画廊、東京・原宿
 
 
 
 
 
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